がんも農場のお店

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2018年7月9日月曜日

旅の振り返り。

久々のブログとなりました。
これだけいつでもどこでもネットに繋がる世の中ですが、
なんとなく、旅行期間はブログの更新をやめていました。
せっかくの非日常に水を差すようで。

話はそれますが、高校生の頃、デジカメが普及しだして、
友人たちもいいカメラを携えて、遊んだりしていたのですが、
なんとなく自分はカメラが嫌いでもちませんでした。
なんとなく、遊びに夢中になっている自分の方が好きで、
カメラを構える自分が遊びから離れてしまうようで、
これまた流れに水を差すような感覚が嫌だったわけです。

今となっては、カメラはスマホに内蔵されて、一心同体となり、
誰も意識することなくカメラをもち、撮影するのが当たり前。
ああ、こういう感覚ならカメラもいいなと思ったりします。
今は、昔のようにかたくなに思うことはないのですが、
今回PCを置いて旅に出た感覚が、高校生の自分と変わってないなと思って
少し懐かしく思いました。

農業仲間とのBBQを終えたあと、明け方に起床。
寝ている娘をそのまま車に乗せて、夜が明けたと同時に出発。
目的地と到着時間は決めているけども、過程は全く詰めきれておらず、
なんとなくナビだより。こんな旅程も今ならできる。
まずは愛知県の碧南市に向けて出発。

「がんも農場の本みりん」を製造してくれている「九重味淋」がそこにはある。

碧南市には現在5つの味醂製造蔵がある。
規模や製造方法などは異なるが、それぞれのカラーがある。
予定では九重味淋だけ行く予定だったが、思いのほか早く碧南市に到着したので、
全ての蔵に行って味醂を買うことができた。ラッキー!
実は碧南市の近隣では養鰻が盛んで、これまたラッキーなことに、
九重味淋を使用している鰻屋さんでお昼を食べることができた。

お昼すぎには次なる目的地である三重県大紀町に向けて出発。
今回の旅の目的である。妻の親戚に会いに行く。
娘は初めての対面。三重県の中でも南部に位置する大紀町までは
碧南から2時間ほど。昔は山をいくつも越えて行かなくてはいけなかったらしいが、
高速が伸びてだいぶ楽になった。

埼玉生まれ埼玉育ち長野在住の僕にとっては、海岸に面した漁師町の大紀町は
見るもの全てが珍しい。磯の香りや湿った潮風。港には漁船が浮かび、
穏やかな波のビーチがすぐそばにある。かつて小さい頃憧れていた”田舎”だ。
夏休みといえばこんな田舎にみんな帰っていた(はず)。
残念ながら時期的にまだ海には入れず、砂浜で少し遊んだり、
近隣を散策しておしまいだったが、来年には娘も少しは海に入れるだろうか。
結婚してこんな田舎に出会えて、なんてラッキーなんだろう。

旅行中には災害のニュースも飛び込んできた。
三重県も災害の中心地ではないにしろ、関西方面ということで、
少しドキドキしたりした。何しろ防波堤や津波用の避難棟がたくさん
用意されているのだ。2011年の東北大震災以降、沿岸部の街はこうした
物々しい設備を有事に備えて準備することになったそうだ。
内陸部にしかいなかった自分にはこれまた珍しい経験だった。
ある意味では災害に対する平和ボケなのかもしれない。
平和ボケでいられることに感謝しつつ、同じような豪雨の前には、
いかなる地域においても例外はない。親戚や家族たちの安全を願いつつ、
災害の時には助け合える関係を作っていたい。幸いにも親類は日本全国にいる。
これまたラッキーだ。

旅の最後には伊勢神宮で今年の豊作を祈り、埼玉の両家の実家に挨拶。
佐久に帰ってきたのでした。
心配なのはやっぱり田んぼの稲たち。元気でした。
明日からまた田んぼの日々です。

がん!がん!がん!

2017年7月23日日曜日

藤森照信先生のワークショップ。

7月23日(日)

この銅版を。


角材でがんがん叩くと。
 
 
こうなります!!
しわしわです。
 
 
ピーンときれいな銅版よりもしわしわのほうが風合いがあって、弥生的。笑
この銅版は、藤森照信先生が作る茶室「低過庵」の屋根材として使用されます。
きょうは「低過庵」を作るワークショップの1回目に参加してきました。


 3畳強ある茶室。
僕が座っているところがきょう作成した根太に床材を貼ったものです。

 
 
 
9月の完成まで、数回の間ワークショップに参加させて頂きます。
子連れでもあたたかく迎えて下さった参加者の方やスタッフの方、
藤森先生には感謝です。がんばります!

 
がん!がん!がん!

2013年4月15日月曜日

帰国翌日。

4月12日(金)

帰国の翌日。

まずは治療途中だった歯の治療へ。
久々に麻酔打った。痛い。。。
でも、いい大人が痛いとか言ってられないし、、、

午後は養老孟司が佐久で講演をするということで、
行ってきました。

地元の会社「国実」が20周年を記念して開催した講演会。
800名を無料招待してくださった。素晴らしい会社だなあ。

お話しも期待通りおもしろかった。

詳しくはこっちのブログに書いた。
http://oshiete-ganmo.blogspot.jp/2013/04/blog-post_13.html

がん!がん!がん!

2013年4月13日土曜日

日本に帰国。

4月11日(木)

帰国の日。

8:30にはホテルに迎えが来るので、7:00に起きて準備。
初めてホテルの朝飯を食べてみた。



バイキング形式だったけど、どれもちょっとな感じだったので、
サラダを中心に食べることにした。
トマトがミドリ色過ぎてびっくりしたら、やはり、かなりすっぱくて固かった笑



リバービューホテルという名の通り景色はいい!

あとは、空港に向かい順調に成田空港。
そして池袋駅まで。

19時前には池袋に到着したので、佐久行きの高速バスの時間までは
 1時間ほど時間があった。そこで、大好きなジュンク堂書店に行ってみた。

なんとなく中国語コーナーに行ってみたら、
おもしろそうなので、一冊だけテキストを買ってみた。
台湾もそうだけど、次回中国語圏に行くときは、しゃべれるようになってるかな!

高速バスに乗り込むと3名しかいない。
ゆったり足を伸ばして帰路につく。

23時には帰宅。ひさびさの旅で大満足でした。

がん!がん!がん!

台北3日目。

4月10日(木)

台北3日目。

朝6:30に部屋の電話で起こされる。
昨晩、遅かったのでかなり寝ぼけて「はい、」と
すごく不機嫌そうに出たら、昨日ツアーで仲良くなった
同じホテルのSさんからの電話だった。
日本語でいきなり話しかけられたので、ちょっとテンパった。

ツアー会社側の都合で、同じホテルの僕らはホテルを
アップグレードすることになっていたので、一緒に行きましょうとのことだった。

台湾通のSさんと道中おしゃべりしながら、ホテルに移動。
移動後の時間でまだ8:00笑

しかしちょうど九分にいくつもりではあったので、
そのままホテルにチェックインした後に、出発することにした。

Sさんは、奥さんとの次回の旅行のために一人で下見旅行に
来ているとのことだった。この日は、奥さんの持病を、
現地でも看てくれる病院の場所を確認するために、
台北市内のマンガ?というところに行くと言っていた。

Sさんとお別れしたが、連絡先などは交換しておいた。
北海道に来るときはいつでも連絡してくれと、心強い
言葉をいただいた。北海道は、ここ数年で知り合いがなぜか
たくさんいることになっている。(笑)

九分に向かうことは決めていたが、行き方を全く知らない。
移動しながら、調べるとどうやらMRTでは行けないことがわかった。

台鉄=TRAに台北駅で乗り換えて、寝ぼけながら出発。
瑞芳駅で降りて、バスに乗り換える。

そのバス停で陳さんに出会った。

陳さんは、どうやら花蓮に行く予定だったが、
ホテルが取れなかったため、九分に行くことにしたそうだ。
陳さんは、日本語少し、英語少し、台湾語、北京語ぺらぺら。
という、マルチリンガル。

陳さんが一緒に行こう!と誘ってくれるので、
それならと同行することにした。
目当てであった、千と千尋の神隠しのイメージとなった場所にも、陳さん夫妻の

堪能な北京語で笑 がんがん行くことができた。しかし、陳さんたちの脚力に
びっくりした。








陳さんと九分をぐるぐる巡る。
その後、金爪石に行こう!と陳さん。

僕のほうは、まあかっちりした予定もないので、流れに任せた笑

金爪石は、日本人にとってはあまりきゃっきゃと楽しむような
場所ではないかもしれない。まあ、深いことは置いておいて、
金鉱の跡地や博物館を見物。
登山道の途中にある、神社(破壊されて跡地)まで行くと
絶景が見れる。この時点で、万歩計がもしあったら1万歩弱は、いってるのでは!?

道中の話で既に僕がお米を作っていることは説明していたので、
奥さんの働いている青果売り場へ連れていってくれることに。
また、お茶と漢方をお土産にしたいことを伝えたら、
いつも買っているお店にも案内してくれることになった。






一通りこれらのガイドをしてくれたときには、18時くらい。
じゃあ夕飯を食べよう!と夜市へ。
3人でゴハンを食べて19時。





まだ時間があるからどこか行きたいとこある?と、
なおも観光案内してくれる陳さん。

3人で5分悩んで、台北101に行こう!となった。
3人揃っておのぼりさんみたいな感じで、ぞろぞろ台北101へ。

台北101では、入場時に記念写真を撮ってくれて、
それが展望台のカウンターで購入出来るようになっている。
僕は撮られたときに、有料だね〜と言ったら、
陳さんは、いやいや無料でしょ〜と言う。

陳さんの主張は、入場時に高い金払ったんだから、
無料だよと言うのだった。
陳さん、そんな甘くないぜ台北は!と心の中で思ったら、
やっぱり有料だった笑 しかも入場料金と同じくらい笑

観光地はなんでも高いよ。と、九分でも言っていたことを、
また陳さんは言っていた。ちなみに、陳さんは2リットルの
ペットボトルに水を持参するくらい、お金を大切に
使っているのが印象的だった。





台北101をあとに。実に12時間に及ぶ陳さん夫妻との一日。

本当に優しいヒトたちだった。

山登りが好きだそうだから、ぜひ浅間山に来てくださいと
伝えた。そしたら、すごくうれしそうにわかった!と言っていた。
そして手紙を書くよ!と言ったら、手紙来い!と言っていた。

素晴らしい偶然に感謝です。

寝不足な上に、一日歩き続けたので陳さんと別れたら、
急に疲れが出て、ホテルに着いたら撃沈。

それでも、もう一度起きて夜の台北に出かけましたが笑

そんな台北3日目でした。



がん!がん!がん!

台北2日目。

4月10日(水)

台北2日目。

朝7:30にホテルを出発。 こんなに早い出発だとは思わなかったけども、
連れていかれるままに、 きょうはツアーについていく。

道中、ツアー同行した日本人のヒトたちと仲良くなって、
いろいろな話をすることができた。主に台湾通のおじさんと同行。

記念写真を撮り合ったり、観光場所を一緒に巡ってもらった。
昼食のときには、円卓を10人ほどで囲んで食べるので、知らないヒトたちと
分け隔てなくおしゃべり。昔はこういう場所であまりしゃべれなかったけど、
いまはしゃべれる。だいたいは、40代以上の大人のヒトたちと、
姉妹で参加している若い女子も。













17:00ころにツアーは解散して、そこからは単独行動。
雨模様だったけども、ゴアテクスもってきていてよかったです。
傘なしでOKなので、ぐいぐい歩いて散策。 まずは小龍包。
ガイドさんに聞いたら、テンスイロウが いいというので、行ってみる。







うまかったよ!  そのあとは気の向くままに歩く。
すると、本屋さんがたくさん出てきた。  日本と同じく、
台湾もオーガニックブームのようで、雑誌が販売されていた。
さらに同じくランニングブームのようで平積みの本はランニング関連本。
次回の来訪時のために、台湾の現地から出版されたガイドブックを買い込む。





さらに進むと、Film Houseなるものがあった。 いわゆるミニシアターのようで、
小津作品なども上映されているようだった。 ここで、中学生へのお礼。ゴムにキレイな石がついているゴムを購入。 OKとしてもらおう。

さらに歩いて新光三越。ここでお米のリサーチ再び。

ホテルに戻って再び、夜の街を散策。雨模様だったので、 早めに退散してきたら、23時。  そのままベッドに倒れたら朝だった。

写真は、ツアーでいった中正記念堂でテレサテン生誕60年の展覧会をやっていたので、
せっかくなので、お土産買ってきました。





がん!がん!がん!