がんも農場のお店

2020年2月15日土曜日

日記0209-0215


佐久市の米農家の日記です。
徒然なるままに。
あー楽しかった!と言って逝くために日々実践しています笑
好きな言葉は”楽観的な向上心” 引用:わざわざカレンダーより

2月9日(日)雪/晴れ
日課のジョギングのため起きるとなんと雪。
習慣というのはすごいもので、ちょっとやそっとでは心が折れない。
勇んで出発!今日は20kmというノルマを課しての出発。
13kmくらいでやはり足がきつくなり、歩きながら走りながら。なんとか帰宅。
暗い中、雪の中、出発したが、帰るころには快晴。
今日も午前中は掃除。新たな掃除として鍋磨きと包丁研ぎも先週から。
加えてまな板もやすりで磨いて修復。
午後はみんなで買い物。と、かみはら寄席のチラシ配りでお店を数件まわる。
夜はお持ち帰りのケンタッキーとおかずに簡単に済ませる。
週に一度はこんなのもいいよね。と言ってダイエット効果を無にする笑
もう少しで大台を(自分的に2年くらい下回れなかった体重)超えられるのになー!

2月10日(月)
おにぎりケータリングユニット”ごはんとおとも”のエイジくんとノブくんが
佐久に来てくれた。今回は松本でケータリングということで、
お米を買いがてら寄ってくれたのだ。嬉しい再会。そして事業がうまくいっている
ようで何より。
夜は塾でした。

2月11日(火)
午前中は軽井沢に用事を済ませて、そのまま僕は軽井沢から東京へ。
お世話になったレコード屋さんのお見舞い。
この日はとんぼ返りで夜はみんなでジンガラで。

2月12日(水)
事務仕事からスタート。
午後は苗間の計測をしてハウスを建てる場所を決める。
その後畦塗りをしてから、入水スタート。2日後に代かきをします。

2月13日(木)
かみはら寄席に出ていただくお店や、チラシにご協力いただけるお店に
チラシ配り。午後は軽トラの点検。そんな出っぱなしの1日。

2月14日(金)くもり
朝から代かきに出発。なんとも季節外れの作業だが、苗間作りのため。
無事代かきできれいに平たくできた。あとは1ヶ月ほど乾かして、
今度はハウスを建てる作業。
お次は試験的に使用する苗の培土の打ち合わせ。春使用するのが楽しみ。
目的は、激しい環境の変化に耐えうるような稲を作るため。根から吸える
肥料分を最大限生かせるような資材がこの培土。
打ち合わせが終わったら、東京行きの準備をして、出発。今回は新幹線一人旅。
17歳の時に出会ったレコード屋さん。Disc Shop Zeroの店主飯島直樹さんのお通夜。
見たことのないお通夜。きっと後にも先にもこんなお通夜は体験しないだろう。
斎場はパンパンの大入満員。飯島さんらしい選曲で終始熱気に包まれた会だった。
ライブに始まり、精進落としはさながらクラブのような盛り上がり。
いればいる程思い出が溢れ出て、泣けてくる。そんな会。
実家泊なので桶川に戻ってからもう一杯。タコスのうまいチランガバンダさんで
ゆっくり思い出に浸った。

2月15日(土)晴れ
今日も告別式で東京へ。なるべく最後まで時間を共にしたい。
そんな気持ちで参りました。
お別れをしたあと、少し時間があったので下北沢のzeroへ。
下北沢の駅があまりに変わっていていきなり面食らう。
けど、zeroへ向かう道を歩くと、記憶が一気に蘇ってくる。
最後の階段を登る手前。なんとも言えない切ない気持ちでした。
なんでもっと早く来なかったんだ。オレ。 
埼玉に戻って今度はスバルのディーラーへ。中古車を見に。
実家泊。

10年前に米農家になると決めてから、時間もお金もない時間が長くて、
CDやレコードを買ったり、レコ屋に通ったり、本や雑誌を読んだり、
ということがめっきりなくなった。ただここ2-3年は無意識のうちに
音楽に使うお金や時間も自然と増えてきていた。事業も多少安定してきた
のかもしれない。そんな折、17歳の時にまだレコ屋通いをして間もない頃に
出会ったのは、下北沢のdisc shop zero店主の飯島さん(当時は江古田)。
音楽の影響を受けたばかりでなく、主催するイベントにDJとして参加させて
もらったり、社会人になるまでは毎週のように通っていた。
就職の時も、就職してからもいろいろなことを相談して、応援してくれた。
僕にとっては生き方のお手本というか、師匠というか、そんな存在だった。
こんなに急にお別れになるなんて。告別式の時の弔辞で聞いた言葉が印象的だった。
”人は死によって学ぶことができる。”何が大事なのか。本当に考えさせて
いただく機会をもらいました。いや生前でもいつも気づかせてくれた。
でも、今回のことで深く刻み込まれました。本当にありがとうございました。





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