5月17日(木)
天気:☀
昨晩、午前2時。携帯の音で目が覚める。
兄からの着信だった。
こんな時間に僕に電話をすることは、まずないので、
緊急事態を予感して、電話に出ると、やっぱりなにかあったようだった。
東京から帰宅中だった兄が、佐久に着いて我が家に向かう途中、
自宅の方角で、火が空にあがっているのを目撃したのだった。
僕は地元の消防団に所属しているので、兄から電話を受けて、
すぐに活動服に着替えて、兄の車で詰所に向かった。
既に、消防車は出動していた。火の方角に車で行くと、
消防車が数台到着しており、あたりは騒然としていた。
車を降りて、現場に近づくと、すさまじい火が既に民家と小屋から出ていた。
慌てて、先輩団員のもとへ行き指示をあおぐ。
ホースが足りない!
防火水槽の水がもうない!
消火栓までホースが何本必要なんだ!
消防署員の人たちと団員の人たちが、協力して消火活動にあたっているなかで、
怒号と、火の轟音と、ときおり壁やガラスが崩落する音が静かな夜に響く。
僕は、ホースを運んだり、懐中電灯を届けたり、数百メートル伸ばした
ホースの中間地点で放水の連絡を中継したり、火から遠いところで
サポートをしていたわけだけども、消防署員に混じって、多くの団員が、
筒先を持って、火の正面に立ち、水を民家にかけていた。
とにかく、暗闇のなかをかけずり回った。
消防団は、地元に住んでいる人たちなので、消火栓の場所や、
防火水槽の場所はもちろん熟知しているし、近隣の人たちとも知り合いで、
災害の際に、非常に助けになる存在なのだと思う。
今回の火災で、改めて実感した。
午前4時に鎮火された旨が、消防署の方から周囲に放送され、
その後は、後片付けとなった。
火災現場に入り、燃えるものと燃えないものをだいたい分けていき、
まだくすぶっているものに、水をかけていく。
数多く伸ばしたホースもみんなで巻いていく。
片付けが終わったのは午前6時くらい。
その後は、終了式になる。
佐久市の消防団の団長、副団長、方面隊長、区長さん、出火元のお家の方、
などから、挨拶やこの後の動きに関して説明があり、一旦解散。
延焼や、死傷者が出なかったのが、今回の火災の不幸中の幸いとのことだった。
地元の方が、食事を用意してくださっていたので、みんなで腹ごしらえをして、
帰宅出来たのは朝7時。
今回の火災は、隣の分団のエリアだったので、解散出来たが、
地元の分団は、残火処理と言って、火災現場を監視する役目が
まだ残っている。全焼の場合は、丸一日とか。。
災害は、いつか自分にもやってくるかもしれない。
いつか自分が災害にあって、みんなのお世話になる日までは、
できる限り災害にあった人のお手伝いができればと思う。
きょうは遅くに作業を開始させてもらって、
草刈りを進めましたとさ。
がん!がん!がん!
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