がんも農場のお店

2018年3月14日水曜日

歴史を知る。

田んぼで作業をしていると、先輩農家さんが通りかかる。
なにげなくこの辺の用水の話になる。

用水といえば、五郎兵衛用水。
五郎兵衛米の名前の由来である。
その五郎兵衛用水の話。

さかのぼること江戸時代の話。
市川五郎兵衛さんが私財を投じて用水をこの浅科に引き込んだ。
おかげで田んぼが一面に広がったのだ。戦乱の世が転じて
これからは田んぼが一大事業となる。そんな先の世を見据えての
ことだったか。五郎兵衛さんは先見の明があったのだろう。

そんな用水。田んぼにとってとても貴重な水源ではあったが、
いかんせん今とは違ってコンクリではなく土側溝。測量も精度は低い。
話によると、毎日水がちゃんと通っているか歩きながら目視で確認していたそうだ。
それも、村の職員(土木科)が専門で担当していたらしい。当然田んぼの生命線である
用水なのだから、信頼のおける人材が担当していた。賃金も村長と同等だったとか。

用水にまつわる歴史は本当に興味深い。それはこの地に生きてきた人の歴史そのもの。
埼玉の団地生まれの僕には到底想像できない世界。
しかしながら、この地に移り住み、そして歴史のある田んぼを耕作するからには、
こういった先人たちの歴史を知らずにはいられない。歴史を知ることで、
理解できることもたくさんあるのだ。

その昔、毎年春には田の耕作者を初め、地域のみんなが協力して用水のおおもと、
原水まで歩いて行ってみんなで整備をしていたそうだ。地域ではお弁当を作り、
耕作者はそれを携えて資材をかついでいくつもの山を越えて原水まで歩いて行った
そうだ。ひとまず、この道を今年は歩いてみよう。

それにしてもきょうは暑かったですね。
畑の準備と納屋の整理。まずはじゃがいもの植え付けの準備から。

がん!がん!がん!

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