がんも農場のお店

2017年2月17日金曜日

なにを優先させて生きるかを考えた。

2月17日(金)


先日、遠藤周作原作の沈黙を見てきました。
近所のアムシネマに行ったら場内にはわずか5人ほど。

キリスト教を信仰するが故に、拷問にかけられてしまう。
信仰を放棄するよりも死を選ぶ。

でも、人の命よりも優先すべきことなんてあるんだろうか。
そんなことを考えさせられました。

主義や思想は自由。だけど、なによりも大事なのは
生きていくこととか、周囲の人と仲良く暮らせることだと僕は思います。
そのための信仰であるはずなのに、キリシタン弾圧下の日本においては、
キリスト教を信仰していることがその妨げになってしまっていた。

目の前で人が死んでいく様を見て、主人公の宣教師の師匠であったフェレイラは
信仰を捨てることを決意する。逆に日本の仏教の信仰を勉強し、日本人の名前を与えられ、
生き延びる選択をした。強い信仰心をもつ日本人が次々と殺されていく中、これ以上の
犠牲を出さないために信仰を捨てた宣教師。ほんとうに人として強い心をもっていたのは
信仰を捨てた人なのか、信仰を捨てずに亡くなった人なのか。

今を生きる僕にも映画は問いかける。

なにを優先させて生きているのか。
焦ったり、急いだり、怒ったり、悲しんだりする生活の中で起こる様々なこと。
感情を揺さぶるできごと。自分はなにを犠牲にしているのか。
自分の考え方や主義、主張は強すぎるとときに相手の考え方を否定することになる。
目の前の人と仲良くすること以上に大事な主義主張などあるのだろうか。
平和な世の中を望んでいるなら改めて考えたい。なによりも大事なのは、
目の前にいる人との平和な暮らしである。

がん!がん!がん!

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