がんも農場のお店

2017年9月7日木曜日

勉強の哲学。

「勉強の哲学」千葉雅也著という本を読んでいる。
なんのために勉強をしているのか、とか、
勉強をするとはどういうことなのか、ということが書いてある。
勉強をするということは、周囲のノリから外れることだという。

確かに周囲の環境に流されるように生きている限りは、
自分で勉強する必要性なんて感じないかもしれない。
疑問を感じたり、批判的な意見を持つことから、初めて自分で
知識を深めようとする行為が始まる。

本の中にこんな一節がある。
みんなと一緒にケーキを食べていて、”おいしいね”という友人に対して、
”おいしいね”と返すのがふつう。”おいしいっていう返答以外許されてるの?”と
返す人がいたとしたら、場を凍りつかせるだろう。”なんか音楽みたい”という
返答をする人がいたら天然ボケの人だと思われるだろう。
また、このケーキがいかにうまいかを人一倍知っていたとして、
そのことをしゃべり続けたとしたら、、、このケーキはどこどこの洋菓子店の
流れをついでいて、誰が初めて開発した人で、、、、みんなひいてしまうだろう。

つまり、空気を読んだ答えをする場合は、”おいしいね”の一言である。
こうした同調圧力から逃れるために勉強をする、という理解でいいのだろうか。
まだ読み始めたばかりである。笑

がん!がん!がん!

0 件のコメント:

コメントを投稿