がんも農場のお店

2011年11月21日月曜日

板前時代その1

11月20日(日)
天気:☂
気温:18.8℃

きょうは朝から終日常盤館で厨房のお仕事をしていました。

旅館の厨房の仕事は、朝ご飯から始まり、
昼間は宴会用のお食事、さらに夕食の準備となります。

もちろん従業員用の食事(朝昼晩)も厨房で作ります。



朝ご飯は、7時30分からなのですが、僕は7時と遅めに出勤します。
このとき、朝ご飯の準備は厨房の方達によって、
既に8割くらい終わっています。

では僕の仕事はというと、従業員用の朝ご飯の準備をしてから、
昼間のお食事の準備に取りかかります。
さらに従業員用の昼食を作るとだいたい12時。
これで、午前中の仕事を終えます。

15時までは休憩となるのですが、きょうは、1000m林道という、
標高1000mの等高線上にある道をランニングしていました。
ここでのランニングは、森林に囲まれて、景色も最高で、
気持ちいいです。ごくまれに、ヒトと出会ったりもしますが、
きょうは、常盤館の社長がクラウンで登場しました。



軽トラいいね!と、最近ペイントした軽トラがんも号に
お褒めの言葉をいただきました。


約1時間のジョギングを終えて、ひと休み。
その後は、また厨房に入り、夕食の準備に入ります。
2時間ほどで夕食を出し、その後は翌朝の食事の準備です。

きょうは18時とかなり早めに厨房を後に、
久々のボクシングとジョギングで筋肉痛になった身体を
ほぐすため、常盤館の温泉雲の助へと行きました。

夜景はきれいでしたが、カメラでは再現出来ず。

この露天風呂は最高です。

というわけで、誰もいないお風呂でゆっくりした後、
帰宅したのでした。

来週スパーリング大会が迫っているので、
いま僕のアタマの半分くらいは、
常にボクシングの練習のことを考えています。

ただ、きょうは早めに厨房の仕事が終わったので、
ふと話の流れで、昔の板前修業時代の鍋磨きの話になりました。



話した後、アタマの中は板前修業時代のことで
満タンになったのでした。

修行時代、毎日毎日鍋を磨いていました。
ボンスターと言うスチールウールにクレンザーをつけて、
打ち出し鍋をピカピカになるまで磨きました。

最初は一つの鍋を磨くのに30分以上かかっていましたが、
慣れてくると10分くらいで磨けるようになってきました。

とにかく、磨く際にも磨いた跡がキレイになるように、
角度や円の描き方など、細心の注意を払って磨いていました。
灰汁の強い材料をつかった後は、なかなか落ちなくて、
大変だったよなあ。一度使用した鍋は、必ずピカピカにしてから
使用していました。だから、1日のうちに何十回も鍋を磨きます。
それで、腕の筋肉もついてきたんだよなあ。

僕は、板前を始める前に、コートドールと言うフランス料理店の
料理長が書いた本を読んで料理長の修業時代のことを知っていたので、
鍋磨きという作業があるということは知っていました。
でも実際にやると、大変です。

なにが大変かって、親方に納得の行くレベルで仕事をするということが、
大変でした。少しでも妥協すると、ビンタが飛んでくるし、
いい加減な仕事をしたヒトからは、仕事が剥奪されます。
唯一の仕事の鍋磨きや掃除さえも、させてもらえなくなるのです。

まあ、鍋磨きの話をして、そんなことを思い出したのでした。
いま思い出しても、いい思い出ではないですね。
話す時は、笑えない部分もあります。

でも、大切なことだし、がんも農場の基礎でもあるので、
少しずつブログに書き留めておくことにしました。

前職で、僕の会社の社長が、僕の修行していたお店に行きたいと行って、
僕が予約をしたことがありました。

兄弟子が受付の電話に出たときには、声が震えたなあ。
もちろん僕自身の名は明かしていません。

大学を卒業してから板前を始めて、結局10ヶ月という短い期間で
この板前修業を辞めることになります。
このとき、ほんとのほんとに敗北したと思いました。

辞めた理由はまた長くなります。。。。



がん!がん!がん!

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